#WeThe15
東京パラリンピックが開催されます。
それと同日に、「WeThe15」という言葉が世界中に発信されたことをご存じでしょうか?
WeThe15は、差別を終わらせるためのスポーツ史上最大の人権運動です。
世界人口の15%を占める12億人の障害者の生活を変革することを目指しています。
スポーツ、人権、政策、コミュニケーション、ビジネス、芸術、エンターテイメントの世界から
最大の国際機関の連合を結集することにより、今後10年間で変化を開始する予定です。
まず私は障害を持って生活をされている方が世界人口の15%もいることに驚きました。
また、世界中では日本以上にその多くの方が見た目や行動による偏見を持たれていることは認知しています。
パラアスリートの活動を通じて、一人でも多くの人に互いを想いやる気持ちが浸透されればと願います。
https://www.wethe15.org/
つかの間の晴れ 永田大橋から
雨の運転や河川の氾濫に注意しましょう!
大雨のニュースで、九州や中国・四国地方を中心に大きな被害が出ています。
大阪府内も長時間の雨は続いていますので、今後の状況による避難情報など気を付けていきましょう。
また、夕方の暗い時間の雨による見通しの悪さなどから、交通事故が増えたりしますので出歩く際も十分に注意してください。
車だけでなく自転車で、傘をさしながらの片腕運転はとても危険です。
広報担当の私も、4歳の娘をパパチャリに乗せて移動することがあるのですが、雨の日の自転車にとても危険を感じることがあります。
つい急いでしまうかと思いますが、時間が遅れたり濡れるのは仕方ないので安全な行動を心がけましょう。
夏の甲子園開幕 高校球児にエールを
2年ぶりに甲子園へ、夏の全国高等学校野球選手権大会が帰ってきました!
オリンピックが終わり、また夏の熱戦が見られることは本当に楽しみです。
広報担当の私は奈良県出身です。
母校の高田商業高校が奈良県大会決勝まで勝ち進んだのですが、惜しくも強豪の智弁学園に敗れてしまいました。
それでもOBに熱い想いを届けてくれた、現役球児の頑張りがとても誇らしく思います。
今年卒業の高校3年生は、高校1年の冬~今まで対外試合や合宿など練習にも制限がある中で競技を続けてきました。
上手くいかない日々もあったかと思いますが、ハレの舞台で思いっきり爆発したプレーをしてほしいと思います。
みんなで、ハツラツとしたプレーを目に焼き付けましょう!
ステイホームのお盆の過ごし方
オリンピックも無事に閉幕し、お盆休みに入りますね。
今年も去年に続き、田舎への帰省やレジャーを控え近場のお墓参りや自宅で過ごされる方も多いのではないでしょうか。
2020年度のお盆の過ごし方のデータでは、実に79%の人が「自宅・自宅周辺」でお盆を過ごしたと回答しています。
せっかくの時間を持て余すくらいならと、普段なかなか出来なかったことにチャレンジするのはいかがでしょうか?
一人暮らしの方であれば、読書や勉強、部屋の模様替え。
ファミリーの方なら、将来の旅行の計画や料理・自宅BBQもいいかもしれませんね。
ご先祖を想いながら、自分自身や身近な人に栄養を与えるような時間に活用できたらいいなと思います。
定例スタッフミーテイング 品質と働きやすさを追求
本日は塗装班・防水班・広報班でスタッフミーテイングを行いました。
現在当社では、大阪市内・堺市、奈良など複数の現場を進めています。
工事をする建物もビルやハイツ、戸建て住宅と様々です。
8月はお盆期間中のお客様とのスケジュール調整、そして特に注意しなければならないのが台風情報です。
台風9号が週明け関西に到来する為、足場やシートなどの安全チェックは最優先事項となります。
お盆の時期も雨予報のため、この日は外壁はストップし内側の作業を進めようなど班のリーダーが主体となり工程を考えます。
こまめな情報共有と進捗確認を行うことで、お客様への品質とスタッフの働きやすい環境作りを心がけています。
体温以上の危険な暑さに要注意 大阪市
外壁・屋根塗装 東中浜地域のお客様 ご契約ありがとうございます!
チラシのポスティング 諏訪地域のお客様より 御反響ありがとうございます!
城東区の歴史 生い立ち編
連日ポスティングで、城東区内をテクテクと歩いております。
そうすると、なぜこのような地形なのか、どういった歴史があるのかについて気になり調べてみました!!
※参考として城東区のHPより一部引用しています。
大昔の城東区域は、上町台地の東側の入り組んだ海だったようです。
そして淀川と旧大和川が運び込む土砂によって次第に陸地化しました。
標高は1~2メートルと全般的に低く平坦で、当区域が入り海だった時代には、難波江、難波潟と呼ばれていました。
その後、陸地化してからは旧大和川が南北に流れ、大阪冬の陣では、大和川を挟んで今福と対岸の鴫野が戦場であったといわれています。
江戸時代初期には、現在の地名のもととなる村々がほぼ成立していましたが、淀川と大和川の合流点に近く土地が低いため、昔から数え切れないほどの洪水に見舞われていました。
宝永元年(1704年)に大和川が現在の流路に付け替えられてからは、洪水が減少し、旧大和川の河川跡には、新喜多新田・左専道新田・布屋新田などが開かれました。
昔の城東区内に住んでいた方は、長きに渡って水害の被害に耐えながら生活されていたのですね。
数百年数千年と大変だった土地も、土木や建設技術の向上で住みよい街に変わったことは、先人たちの大変な功績だと思います。
毎日歩く道も、歴史を感じながら通ると違った見え方がしてきますね。